ヒア・ノイ氏へのインタビューで、モーラム・アイドル シーズン3の概要が明らかになった。
シーズン1、シーズン2は個人の勝ち抜き戦だったが、シーズン3は12のバンドによる競争形式で行われるそうだ。
ヒア・ノイ氏は今季サオノーイ・ラム・プルーン・ショーの座長を務めており、シーズン終了時に健康問題によるコイ・チャリニを含め、多くのアーティストが脱退したことへの説明に加えて、彼が手掛けるモーラムバンドが9月にアメリカツアーを行うことを発表した。
ぜひアメリカでモーラムを見てみたいと思う。
ヒア・ノイ氏へのインタビューで、モーラム・アイドル シーズン3の概要が明らかになった。
シーズン1、シーズン2は個人の勝ち抜き戦だったが、シーズン3は12のバンドによる競争形式で行われるそうだ。
ヒア・ノイ氏は今季サオノーイ・ラム・プルーン・ショーの座長を務めており、シーズン終了時に健康問題によるコイ・チャリニを含め、多くのアーティストが脱退したことへの説明に加えて、彼が手掛けるモーラムバンドが9月にアメリカツアーを行うことを発表した。
ぜひアメリカでモーラムを見てみたいと思う。
モーラムを聞いていると「シャーっ」という妙な効果音を時折耳にすることがある。それも違う曲でも同じ効果音が聴こえるのである。最初は何かイサーンの楽器の音かと思っていたがそれは間違いだった。実はロケットが飛ぶ音だったのだ。
それを知ったのはモーラム音楽を聴き漁っていた時に出会ったジョーイ・プワシットのRocket Festivalという曲だった。最初はこの曲自体がなんのことか全くわからなかったが、歌詞であったりMVで描かれているロケットに思いを馳せる人々であったり、いろいろ調べていく中でそれが例年5月の雨季の直前にイサーン各地で行われているロケット・フェスティバル(ブン・バン・ファイ)のことを歌っているということがわかった。
モーラムを調べていく中で、モーラム楽団の様々なメンバーやチームがSNSでステージの表や裏を取り混ぜて配信していたのがサオノーイ・ペットバンペーンだった。
ボス・ジョー(Joe Yomanil)率いるサオノーイ・ペットバンペーンは雨季の6月から10月を除く約7ヶ月間、イサーン地域を移動しながらほぼ毎日ステージで演奏している。またステージの解体から次のロケーションへの移動、設営までの様子もSNSで配信したりしているので、モーラム楽団の実態を理解するのにとても役立った。
ステージは午後6時くらいからスタート、午後9時から11時ころにバンドで一番人気のあるアーティストが出演し、そのまま日が昇る午前6時ころまで延々と演奏が続くのである。これを200日間毎日続けるのはアーティストにとっても裏方にとっても決して容易ではない。モーラム演者は本当にタフだ。
私がモーラムにはまりかけた頃、サオノーイ・ペットバンペーンで大きな動きがあった。オン・インという無名の新人が加わったのだ。あれよあれよという間にイサーン地域やバンコクに出稼ぎに来ているイサーン人の間で人気が爆発し、ステージには新しい歌姫をひと目見ようと連日大勢のファンが押し寄せてきた。そしてFCが形成され毎晩とてつもなくでかいお捻りの花輪が贈られていた。
その様子が複数のSNSから様々な角度で配信され、アメリカに居ながらその凄さを感じることができた。それをリアルに感じたいと思い焦がれるようになり、2024年5月にシーサケートで行われたステージを見に行くにまで至った。そして言葉で言い表せないほど本当にすごかった。チャンスがあれば皆さんもぜひ観に行って欲しい。年間200日も開催されているので笑
彼らが配信するSNSのお陰で私のモーラムに関する情報量が一気に増え理解度が急激に高まった。ありがとうペットバンペーン。
センダーオで道が開けたあとはYoutubeの関連動画で様々なアーティストを追いかけることができるようになった。そこで気になったは異常な再生回数だった。
100万回再生を超えるMVがごろごろある。タイ語でしか公開しておらず、タイの総人口は7100万人程度(2023年度)という非常に限定的なマーケットにしかリーチされないコンテンツにもかかわらずである。そのあたりからモーラムはイサーン地域における重要な産業のひとつではないかということに気づき始めた。
ではどうやって収益を得ているのかというのが次に湧いてきた疑問だった。
Youtubeの再生回数は良いとして、ミュージシャンとしての活動の場があるはずだ。その一つは例のSNS配信者のようなステージ活動であることはわかっていた。とはいえ私もかつてミュージシャンの端くれだったのでわかるが、超有名なアーティストでない限り頻繁にライブができるわけがないと考えていた。
そもそもその考えが自体が間違っていた。
皆さんはジャカランダの花ってご存知ですか?毎年5月から6月になると紫色の花が咲き、LAの街が紫色に染まります。
自宅の近所にジャカランダの並木道があるので早朝まだ陽が低い時にBMPCC4Kで撮影してみました。
モーラムと出会ったまでは良かったが、ライブで演奏されている曲のオリジナルを探そうにも手がかりがまったくない。どこから手を付けてよいのかわからない。
日本語でGoogleするとモーラムやルークトゥンが解説されているウエブサイトがいくつも表示されたが情報は古いものばかりだった。そこで紹介されているYoutubeの動画もやはりSNSでライブ配信されている曲とは違う少し古くさい感じの曲ばかりだった。
Youtubeで「หมอลำ」(タイ語でモーラム)と検索すると結果は大量に表示されるものの英語や日本語のコンテンツは皆無で手がかりを掴むことができず途方に暮れるしかなかった。
もしやと思いSpotifyで検索をしてみるとノリの良いモーラム風の曲がいくつも出てきたので兎にも角にも1曲1曲聴きこんでみた。その中でSNS配信者がラジオに合わせて歌っていた曲がみつかった。センダーオというアーティストのナンファーサラパンという曲だった。
2025年5月31日、コイ・チャリニが引退を表明しファンを含めモーラム業界に激震が走った。
モーラムとの出会いはとあるSNSであった。
あれはパンデミック中、2022年頃だったと思う。個人がライブ配信を行い投げ銭をもらうスタイルのSNSで、笑顔を振りまく者、じっと画面を見つめる者、セクシーな動きをする者、業務中の様子を配信する者など様々なタイプの配信者が世界中にいた。その中でお寺の境内らしきところに設置されたステージからバンドのライブを配信しているものがあった。画面の中にはバックダンサーに囲まれて歌っている歌手がいた。彼女がライブ配信をしていたのだ。
バックダンサーの動きはバラバラ、やる気なさそうにしている者もいれば観客からお酒を振る舞われて喜んで飲んでいる者もいた。女性歌手はノリの良いリズムの曲をかつて耳にしたことがあるような無いようなこぶしで歌い上げていた。まるで昭和の歌謡曲のような雰囲気だなと思った。それがモーラムだったのである。
彼女のライブ配信を追いかけることで少しずついろいろなことがわかってきた。まず曲はモーラム、バックダンサーはハーンクルアンと呼ばれること。観客が時々ステージに近づき握手したりお金を渡したりしていること。そして配信はイサーンと呼ばれるタイの東北地域から行われていることも。また歌っている曲は他の配信者のライブでも演奏されていたりしていたので彼女のオリジナルではなく一般的に人気のある他人の曲だということもわかってきた。
しかしイサーン語、ましてやタイ語も全くわからない私にとってはここからが大変であった。
ヒア・ノイ氏へのインタビューで、モーラム・アイドル シーズン3の概要が明らかになった。 シーズン1、シーズン2は個人の勝ち抜き戦だったが、シーズン3は12のバンドによる競争形式で行われるそうだ。 ヒア・ノイ氏は今季サオノーイ・ラム・プルーン・ショーの座長を務めており、シーズン終了...